2015年2月4日水曜日

ダーウィンの進化論をいまいちど考えてみる。

 こんにちは。

ここにきてくれてありがとう。

少しおつきあい下さい。

ダーウィン進化論を発表したのが、1800年代の中頃。

まだ200年も経っていない。

あの時代は、突然変異や自然淘汰、偶然といった
大雑把とも思える言い回しでも通用していた。

しかし、科学が進んだ現代ではそんな言い回しだけで
かたづいてしまうことはない。

学校教育の場でも進化論は主流なのだろう?

インテリジェントデザイン理論ID理論)についても
もっとふれてもらいたい。

個人的にはそう思っている。

前にも述べているが、生物の進化は進化論という唯一の仮説だけで
説明しきれるものではない。

生物の進化はあまりにも複雑で、あまりにもデリケートである。

だいたい人間という知的生命体が、非常に長い時間をかけて
サルから自然に進化してきただけで、こんなにも複雑かつデリケートな身体を
はたして得られることができるのか?

人間の精神性の部分もふまえて考えれば、なおさらである。

人間の身体というのは、数十兆個の細胞で形成されている。

そのメカニズムは、きわめて精密である。

いや、完璧と言い換えてもいいはずだ。

突然変異や自然淘汰、偶然などといった漠然とした概念では、
決して説明しきれるものではない。

やはり、何らかの知性の意図の介入があったと考えるほうが
自然なのではないだろうか。

今回はこんなところです。

ではまた。

誰かのお役に立てることを願って。

しかるべきところに届くことを祈って。

真心をこめて。

最後まで読んでくれてありがとう。

ここにきてくれてありがとう。



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